この柄は、江戸末期に薩摩藩から「奄美大島をらしい大島紬の柄を考案せよ」との命が下り、図案師が月夜に庭を眺めていた時にたまたま一匹の金ハブが月の光で背模様をキラキラと輝かせながら青々とした蘇鉄の葉に乗り移ろうとしたその一瞬を図案化したことから始まったとされています。
その後、村人たちが競ってハブの背模様と蘇鉄の葉、奄美の花等を図案化し、さらにそこに奄美大島の美しい自然の風土を抽象的に加えて大島紬を作り続けました。
この大島紬は作られていた村が龍郷村(現在龍郷町)であったため「龍郷柄」と名付けられました。今でも熟練した織手しか作る事の出来ない貴重なものとなっています。